なぜ、声で記録するのか

Bosott の入力は、声です。食べたものを「ぼそっと」話すと、カロリーになって記録に入ります。
写真でも、文字でもなく、なぜ声なのか。背景から書きます。
声で入力する道具が、急に増えた
2025 年の後半から今年にかけて、声で文字を入力する道具が目立って増えました。Aqua Voice、Typeless、Superwhisper といった名前を、エンジニアのあいだで聞くことが多くなりました。話した言葉がそのまま文章になり、しかも「えっと」や言い直しが自動で片づく。キーボードを打つより速く、疲れない。
まだエンジニア以外の職種に広く届いているとは言えません。それでも、一度この便利さを知った人が元に戻る話は、ほとんど聞きません。わたし自身もそうでした。これから広がっていく入力の形だと思っています。おそらく数年のうちに、質の高い音声入力がスマホやパソコンに標準で載り、一気にふつうのものになると見ています。
食事の記録は、この形にいちばん向いている用途のひとつだと考えました。毎日 3 回、決まった場面で、短いことを伝える。文章を書くより、はるかに声向きです。

声と、解釈する側の相性が良かった
声で入力する道具が急に増えた理由は、認識の精度が上がったことだけではありません。話した言葉を、そのあとで AI が解釈するようになったからです。
以前の音声入力は、聞き取った音をそのまま文字にするだけでした。「えっと」も、言い直しも、そのまま残る。だから結局、あとで直す手間がかかりました。いまは、聞き取った言葉を AI が受け取り、意図を汲んで整えます。言い直しは片づき、曖昧な言い方でも意味が通る形になる。声の「速いけれど、ざっくりしている」という性質と、AI の「ざっくりした入力から意味を組み立てる」という性質が、きれいに噛み合いました。それが、いま注目されている理由だと思っています。
食事の記録は、この噛み合わせがさらに効く用途です。
キーボードで記録するなら、品目を正しく選び、量を数字で入れる必要があります。声と AI なら、「夜は親子丼とビール 2 本」で足ります。「昼は昨日と一緒」でも足ります。「焼き鳥屋でけっこう食べた」でも、目安の数字は出ます。品目を推測し、量を「1 人前」と仮定し、足りない情報を常識で埋めるのは、AI の側の仕事です。
そして、人は食べたものを、そもそも曖昧にしか覚えていません。「ご飯 150 g」と言える人はいませんが、「ご飯は軽めだった」なら言えます。曖昧な記憶を、曖昧なまま話して、それが記録になる。食事管理は、声と AI の組み合わせがいちばん素直に効く場所のひとつだと考えました。
写真は、いい。それでも声にした
写真で記録する方法にも、はっきりした良さがあります。目の前の皿を撮るだけで、品目も量も、言葉にしなくても伝わる。「これ何て言うんだろう」という料理でも困りません。Bosott にも写真の入口はあります。
ただ、毎日の記録として見ると、写真には引っかかる場面があります。
- 食べる前にカメラを構える、という動作がいる。人と一緒の食事や外食では、それ自体が気になる
- 撮る前に食べ始めてしまった、食べ終わってから思い出した、というときに撮るものがない
- 皿の上に見えないものがある。ご飯のおかわり、飲み物の 2 杯目
声なら、食べ終わったあとでも、歩きながらでも、寝る前にまとめてでも記録できます。「昼は牛丼、夜は鍋、ビール 2 本」と 1 回話せば、3 つの記録に分かれて入ります。
どちらが優れているかではなく、毎日続ける入口として、声のほうが場面を選ばない。それが理由です。
声の 1 点に尖らせて、測り続ける
だから Bosott は、声で記録することに絞って作りました。ほかの入口を足すより、声で話したときにどれだけ正しく記録に入るかを上げることに、実測と検証を繰り返しています。
具体的には、こういうことをしています。
- 大量の食事の文を実際に話して、どこで聞き間違いが起きるかを数えました。いちばん多かったのは数量の間違いです。「ビールを 2 本」が「ビールを 3 本」になる。「タコス 2 個」が「タコスに行こう」と聞き取られる。「シードル 1 杯」が「シードルいっぱい」になる
- その結果をもとに、聞き取りから記録に入るまでの各段階に、細かな調整を重ねています。数量や商品名が落ちやすい言い方を先回りして拾う、といった地味な調整です
- それでも残る聞き間違いのために、記録の直後に数量を指でさっと直せる作りにしました。聞き間違いをゼロにするより、直すのが一瞬であることを優先しています
- 「えっと」「あ、違う、1 本」のような言い直しは、そのまま話してもらって大丈夫な作りにしました
この検証は、公開したあとも続けます。声で記録する精度は、話す人の声や環境で変わるので、実際に使われた記録から学び続けるしかないと考えています。

声で言って、終わり
食事の記録は、続かなければ意味がありません。だから入口は、いちばん自然な動作であってほしい。食べたものを、家族に話すように、ぼそっと言う。それで記録が終わる形を、Bosott は目指しています。
